御開帳と善光寺焼シリーズ、そして実録として残してきた出来事。
いくつかの場所で出会い、
いくつかの器を手に取り、
確かに「繋がっている感覚」はあった。
ただ、
その流れがどこから来て、
どう繋がっているのか。
はっきりとした形では、
まだ見えていない。
だから一度、
ここまでの出会いを整理してみることにした。
善光寺焼は、
善光寺の御開帳や参拝文化の中で生まれた焼き物とされている。
参拝の記念や、祈りの延長として作られ、
暮らしの中に持ち帰られていった。
つまり、
善光寺焼は「信仰」と「暮らし」が重なって生まれたものだった。
■ 出会いは点として存在していた
横文、啐啄堂、そして豊野。
それぞれ別の場所で、
善光寺焼と思われる器に出会った。
場所も違えば、
出会い方も違う。
それでも、
どこか同じ流れの中にあるように感じた。
ただし、
それはあくまで感覚でしかない。
■ 流れは見えるが、断定はできない
では、これらはどこから来たのか。
どこで作られ、
どう流れてきたのか。
調べていく中で、
いくつかの情報には辿り着く。
資料を見ていくと、
当時は磁器が主ではあるが、
陶器も焼かれていた記録が残っている。
つまり、
一つの流れだけではなく、
複数の形が同時に存在していた可能性がある。
しかし、
それらを一本の線として結ぶには、
まだ足りない部分が多い。
分かることと、
分からないことが、
混ざり合っている状態だ。
■ 現在との違い
現在も過去も、「善光寺焼」という名は残っている。
実際に工房を訪ね、
話を聞こうとしたこともあった。
ただ、
自分が今回見てきたものとは、
どこか違うように感じた。
同じ名前であっても、
同じものではない。
そう感じる場面がいくつもあった。
また、
上松焼という名前も見えてくる。
ただし、
それが今回自分が見てきたものと
どう繋がるのかまでは、
はっきりとは言えない。
それでも、
同じ土地で焼かれていたという事実は、
無関係ではないように感じる。
■ だからこそ、今あるものの意味
もしかすると、
善光寺焼はすでに
過去のものになっているのかもしれない。
同じ形では、
もう残らないのかもしれない。
だからこそ、
今、目の前にある器に、
より強い意味を感じる。
それは単なる焼き物ではなく、
時間の中を流れてきたものだ。
■ 結論
はっきりとした答えは出ていない。
けれど、
確かに言えることがある。
それは、
出会ったものはすべて、
偶然ではなかったということ。
点だったものが、
少しずつ繋がり始めている。
善光寺焼とかけて、
遠回りしてきた自分の人生と解く。
その心は、
どこから来たのかは分からないが、
気づけばここに辿り着き、
確かにここに残っている。
この記録もまた、
その流れの中にあるものだと思っている。
実際に起きた出来事はこちらにまとめています
▶ 実録|善光寺焼一覧を見る
出会いの流れを最初から読みたい方はこちら
▶ 第一話|出会いは、突然だった①
※参考資料:『しなのの陶磁器』(信濃毎日新聞社)


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