善光寺焼とは何か。名前だけが残った焼き物の正体を、自分の体験をもとに考えてみた。
【御開帳と善光寺焼|シリーズ】
▶ はじめに|すべては一冊の本から始まった
▶ 第一話|出会いは、突然だった①
▶ 第二話|本物と出会う時間②
▶ 第三話|余韻の中で見えたもの③
▶ 第四話|暮らしの中で使うということ④
▶ 第五話|帰路に繋がったもの⑤
▶ 善光寺焼とは何か|名前だけが残った焼き物(この記事)
▶ 善光寺焼はどこから来たのか|出会いの流れを整理する
善光寺焼。
その名前だけは、確かに残っている。
けれど、
それがどこで焼かれ、
誰が作り、
どのように広がったのか。
はっきりとしたことは、
ほとんど分かっていない。
自分が最初にその名前を知ったのは、
一冊の本がきっかけだった。
参考にした一冊。

古い資料の中に、
当たり前のように書かれていたその言葉。
けれど、
実物を見たことがないままでは、
どこか遠い存在のままだった。

その後、
偶然のように出会った器。
手に取ったとき、
なぜか分からないが、
妙に引っかかるものがあった。
ただ古いだけではない。
ただの骨董とも違う。
言葉にできない何かが、
そこにはあった。

「善光寺焼だよ」
そう教えられたとき、
頭の中で、
点と点が繋がった気がした。
けれど同時に、
新たな疑問も生まれた。
これは、
本当に“善光寺焼”なのか。
調べても、
明確な定義は見つからない。
窯の場所も、
作り手も、
はっきりしない。
時代の流れの中で、
途切れ、
薄れ、
断片だけが残った。
それでも、
名前だけは消えなかった。
もしかすると、
善光寺焼とは、
ひとつの“決まった形”を持つものではなく、
ある時代、
ある場所で、
確かに存在していた“何か”の総称なのかもしれない。
だからこそ、
今、目の前にある器が、
その流れの中にあるものなのか、
それとも違うものなのか、
完全に断言することはできない。
それでも、
実際に手に取り、
使ってみて感じたことがある。
重さ。
手触り。
そして、
使うほどに馴染んでいく感覚。
それは、
ただの“古い器”では終わらないものだった。

名前だけが残った焼き物。
けれど、
その名前の奥には、
確かに“暮らしの中で使われていた時間”がある。
完全には分からない。
だからこそ、
面白い。
そして、
だからこそ、
自分の中で、
確かめていくしかない。
あの日の出会いは、
ただの偶然ではなく、
ひとつの流れの中に
自分が触れた瞬間だったのかもしれない。
▶ 第五話|帰路に繋がったもの⑤
▶ 善光寺焼はどこから来たのか|出会いの流れを整理する
ここからさらに、
善光寺焼の“流れ”と“繋がり”を追っていきます。
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