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第三話|余韻の中で見えたもの③

※この話は、善光寺焼きを探し始めたきっかけです。

寺本表具店・美豊堂美術。

豊野にある、寺本表具店・美豊堂美術。

派手さはない。
けれど、
そこにあるものは、どれも落ち着いて見えた。

骨董品で埋め尽くされたその建物は、
一見すると静かだが、
不思議と目を引く。

地味なものばかりのはずなのに、

なぜか、この場所だけは派手に見えた。

店の中に入ると、
そこには時間が積み重なった空間が広がっていた。

店の中で、器の話を聞かせてもらった。

その空間の中で、
人と出会う。

寺本さんと。

迎えてくれたのは、
店主の寺本國男さん。

体調を崩しており、
近く入院する予定だと話してくれた。

それでも、
目の前のものひとつひとつを丁寧に説明してくれる。話の中で、
こう教えてくれた。

善光寺焼は、
長野市吉田にあった横文から仕入れたものだと。

その言葉で、
それまでの点と点が、
少しずつ繋がっていくような気がした。

徳利・皿・盃・香炉を見せてもらった。

その中には、『しなのの陶磁器』に載っている盃と同じ絵柄の徳利が、中央に写っていた。

本の中のものと、目の前の現物が繋がった瞬間だった。

徳利と香炉は預かり物で、
コレクターの方から引き継いだものらしい。

「これを見てくれないか」
そんな相談が、今でもあるという。

「また、こういうのは出てくると思いますよ」

そう言って、静かに笑った。

さらに、こんな話もしてくれた。

今の家は、
表具や器を楽しむ“場所”が少ないでしょう、と。

土間や畳、床の間。

そういう空間があったからこそ、
掛軸や器が活きていた。

時代に合わせて、
額に入れたりと工夫はしてきたが、

本来は、
暮らしの中に自然とあるものだったと。

毎日の生活の中に、
好きなものがあり、
それに癒される。

そういう時間が、
確かにあったのだと。

その話を聞きながら、
目の前にある器の見え方が、
少し変わった気がした。

その中から、
皿と盃を譲っていただいた。

寺本さんから譲っていただいた、善光寺焼の皿と盃。
あの空間で出会ったものが、今ここにある。

さらに、
長野県辰野町の赤羽焼の手あぶりもいただいた。

この手あぶりは、
その後、思いがけない使い方をすることになる。

「西野さんみたいなのは珍しい」
そう言って、笑ってくれた。

「またいつでも遊びにおいで」

その言葉に甘えて、
何度か足を運ぶようになった。

息子を連れて行ったこともある。

ヤクルトやお菓子をもらったり、
店に飾ってあった信楽のカエルを
分けてくれたこともあった。

それは、
売るための場所というよりも、
人と人が繋がる場所だった。

ここで出会ったものは、
器だけじゃなかった。

地味なものばかりが並ぶこの場所が、
なぜか派手に見えた理由。

それはきっと、

物の奥にある時間や、
人の積み重ねが見えていたからだと思う。

第2話|鬼は外、福は内。—出会いのはじまり
第4話|暮らしの中で使うということ

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