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【実録|善光寺焼⑤】帰り道でつながったもの

杏菓子本舗 利久堂に展示された、青い絵付けと長い首が特徴的な善光寺焼の器 実録|善光寺焼

【実録|善光寺焼⑤】

この実録は、
善光寺焼との出会いの中で起きた出来事を、
時系列でそのまま記録したものです。

意味や流れを整理して読みたい方は
御開帳と善光寺焼シリーズ一覧へ

前回は、
横文から持ち帰った器を、
暮らしの中で使い始めたことを書いた。

今回は少し時間を戻し、
横文を出た直後の帰り道に起きた、
もう一つの出会いを残しておきたい。

横文を出て、中央通りへ

横文を出たあとも、
どこか気持ちは落ち着いていなかった。

あの空間で感じたものが、
まだ自分の中に残っていた。

そのまま、
長野駅へ向かって歩き出す。

中央通り。

見慣れているはずの道なのに、
その日は、どこか違って見えた。

利久堂の入口で見つけたもの

歩いている途中、
長野中央通りにある
杏菓子本舗 利久堂の入口で、
ある文字が目に入った。

「信濃の陶芸」

木札には、
そう書かれていた。

左右のショーウインドーには、
いくつもの陶器が並んでいる。

なぜか、その言葉だけが、
強く心に引っかかった。

長野中央通りにある杏菓子本舗 利久堂の入口と「信濃の陶芸」の木札、ショーウインドーに並ぶ陶器
長野中央通りの利久堂。その入口で、「信濃の陶芸」の文字に足が止まった。

その言葉に引かれるように、
店の中へ入った。

店内には、
会長が集めたという焼き物のコレクションが、
静かに並べられていた。

もう一つの善光寺焼

並んでいる焼き物を見ていると、
その中に、ひときわ目に留まるものがあった。

——善光寺焼。

杏菓子本舗 利久堂に展示された、青い絵付けと長い首が特徴的な善光寺焼の器
利久堂で、思いがけず出会った善光寺焼。

花瓶なのか、徳利なのか。

用途までは分からない。

けれど、
不思議と目を離すことができなかった。

本で見たものと、
どこか似ている。

けれど、
本当に同じものなのかは分からない。

ただ一つ確かなのは、

「ここに在る」

ということだった。

横文で触れたもの。

本で知ったもの。

そして今、
目の前にあるもの。

それまで別々に見えていたものが、
一つにつながったような気がした。

帰り道で形になったもの

横文を出た時点で、
善光寺焼を訪ねる一日は
終わったと思っていた。

けれど実際には、
まだ終わっていなかった。

むしろ、
利久堂でもう一つの善光寺焼と出会ったことで、
あの一日の意味が、
初めて形になったように思う。

善光寺御開帳の年。

一冊の本から始まり、
横文で実際の器に触れ、
帰り道で再び善光寺焼と出会った。

一つひとつの出来事がつながり、
今も自分の中に残っている。

暮らしの中で続いている

あの日から、
少し時間が経った。

横文から持ち帰った善光寺焼は、
今も暮らしの中にある。

特別な日にだけ使うわけではない。

いつもの日常の中で、
手に取り、使っている。

刺身や焼き魚、煮物とともに器が並ぶ日常の食卓
特別な日ではなく、いつもの食卓で使っている。

器を使うたびに、
あの場所で感じたことを思い出す。

そうやって、
あの時間は終わることなく、
今の暮らしへ続いている。

あの日は終わっていない

善光寺焼を通して感じたのは、
ただの「モノ」ではなかった。

作られてきた時間。

使われてきた時間。

自分のもとへ届くまでの時間。

そして、
これから暮らしの中で重ねていく時間。

自分の手で選んだものを、
自分の暮らしの中で使っていく。

派手なことではない。

けれど、
それが今の自分の生き方に、
少しずつつながっている。

だから今も、
あの日は終わっていない。


実録の前回はこちら

【実録|善光寺焼④】暮らしの中で使うということ

この出来事を「本編」として整理した記事はこちら

第五話|帰路につながったもの

実録を最初から読みたい方はこちら

実録|善光寺焼一覧

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