【実録|善光寺焼②】
この実録は、
善光寺焼との出会いの中で起きた出来事を、
時系列でそのまま記録したものです。
意味や流れを整理して読みたい方は
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前回、善光寺門前の陶器店「横文」を訪れ、
静かにその扉を開けた。
一緒に店を訪れたのは、
当時、焼き物のことを教えてくれていた人だった。
自分の中では、
どこか“師匠”のように感じていた人でもあった。
横文の店内へ
店の中に一歩足を踏み入れると、
外の賑わいとはまったく違う、
静かな空気が流れていた。

どこか張り詰めているようで、
それでいて、不思議と落ち着く空間。
並べられた器は、
ただの「商品」ではなかった。
そこに在ること自体に、
意味があるように感じられた。
手に取って、初めて分かる
器を手に取る。
重さ。
質感。
手触り。
どれも均一ではなく、
一つひとつに違いがあった。
同じものは、
一つとしてない。

「これが、本物か——」
そう思った。
見た目だけでは分からない。
実際に手に取り、
触れてみて初めて伝わってくるものがある。
それは、
うまく言葉にできるようなものではなかった。
作られてから、
どれほどの時間を重ねてきたのか。
誰の手を渡り、
どのような暮らしの中で使われてきたのか。
すべてが分かるわけではない。
それでも、
器の中に残された時間のようなものが、
静かに伝わってくる気がした。
「使って初めて分かる」
その人が、
一つの器を手に取りながら言った。
「こういうのはな、使って初めて分かるんだよ」
飾るものじゃない。
使うもの。
その言葉が、
妙に腑に落ちた。

眺めているだけでは分からない。
飯を盛る。
茶を飲む。
酒を注ぐ。
日々の暮らしの中で使うことで、
その器の良さが少しずつ見えてくる。
そういうものを、
「本物」と呼ぶのかもしれない。
選び方を変えた時間
店の中で過ごした時間が、
長かったのか短かったのかは分からない。
ただ、確実に言えるのは——
あの空間で感じたものは、
それまでの自分の中にはなかった感覚だったということ。
何を選ぶのか。
何を手元に残すのか。
そして、
暮らしの中で何を使っていくのか。
横文で器に触れた時間は、
これから先の自分の「選び方」を、
少しずつ変えていくことになる。
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