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高井鴻山と小布施の文化①

小布施町の雁田地区にある天然記念物の雁田のヒイラギの幹 信濃の風景

むかし昔のこと

6月3日。

小布施町役場で行われた、

「高井鴻山と小布施の文化」

第1回講座へ参加した。

講師は、

高井鴻山研究の第一人者として知られる金田功子先生。

正直に言うと、

私は高井鴻山の話から始まると思っていた。

葛飾北斎との交流。

高井家の歴史。

幕末の小布施。

そんな話を想像していた。

ところが違った。

先生が最初に配った資料のタイトルは、

「むかし昔のこと」

だった。

高井鴻山が生まれるより、

はるか昔。

人がこの土地で暮らし始めた頃からの話だった。

その時、

私は少し驚いた。

高井鴻山を知る前に、

この土地を知ってほしい。

そんな先生の思いが、

この題名に込められているような気がした。

資料の一番上には、

「約一万年前」

と書かれていた。

場所は、

雁田山(かりたやま)の赤ハゲ。

地元では滑り山とも呼ばれている場所だ。

小布施町から見た雁田山の風景
自宅近くから見た雁田山(かりたやま)。講座で語られた縄文時代の暮らしは、この山の麓から始まっていた。

先生の話では、

その周辺から縄文時代の人々が暮らしていた痕跡が見つかっているという。

なぜそこだったのか。

先生は、

「人は水のある場所に住む」

と話していた。

雁田山の麓には、

今でも湧水が多い。

だから縄文人たちも、

この湧水地帯を中心に暮らしていたのだろう。

特に印象に残ったのが、

和田峠の黒曜石の話だった。

小布施で見つかった石鏃の中には、

和田峠で採れた黒曜石が使われているものがあるという。

今なら車で行ける距離だ。

けれど縄文時代には、

当然そんなものはない。

歩くしかない。

それでも人は行き来し、

物を運び、

交流していた。

縄文時代というと、

閉ざされた暮らしを想像していた。

けれど違った。

何千年も前の人たちが、

急に身近に感じられた。

以前、

小布施に長く住んでいる方から、

「畑を掘り返したら土器が出てきた」

という話を聞いたことがある。

その頃は笑って聞いていた。

けれど今回、

縄文時代の話を聞いていると、

あながち笑い話でもなかったのかもしれないと思った。

もう一つ思い出した。

焼き物の話だ。

以前聞いた話では、

雁田山の滑り山周辺の土でなければ作れない焼き物があったという。

その時は、

「そうなんだ」

くらいにしか思わなかった。

けれど今回、

先生が話していた縄文時代の集落跡。

湧水地帯。

赤ハゲ。

滑り山。

その場所が全部重なった。

もちろん偶然かもしれない。

私の思い込みかもしれない。

けれど、

頭の中に散らばっていた点と点が、

一本の線で繋がったような気がした。

今回の講座で面白かったのは、

新しい知識を覚えたことではない。

自分の中に散らばっていた小さな欠片が、

少しだけ繋がったことだった。

そして私の目を引いたのは、

先生が配った資料だった。

それは、

先生が学生時代に使っていた教科書を拡大コピーしたものだった。

余白には手書きの書き込みも残っている。

若い頃の先生が勉強した跡だろうか。

何十年も前、

一人の学生が教科書に書き込んだ文字。

その紙が、

今度は講師となった先生の手によって、

私たちへ配られている。

歴史の話を聞きに来たはずなのに、

そんなところにも時の流れを感じた。

1992年発行の小布施案内誌『栗の詩』第7号と第8号
講座の中で紹介された『栗の詩』。1992年発行。当時17歳だった私は、小布施と東京を行き来していた。

講座の中では、

小布施から発見された観音様の話も出てきた。

誰が持ち込んだのか。

なぜそこにあったのか。

今も分からないことは多いらしい。

けれど、

観音様そのものは確かに残っている。

事実だけが、

何百年という時間を越えて、

今に伝わっている。

先生は、

歴史の事実だけを語る人ではなかった。

その向こうにいた人たち。

その時代を生きた人たち。

その人たちが見ていた景色。

聞いていた音。

歩いていた道。

そんなものまで想像させてくれる。

だから話を聞いていると、

ただ年号や出来事を覚えるのではなく、

不思議と風景が見えてくる。

縄文人が湧水のそばで暮らしていた風景。

松川が石や土を運び、

今の小布施を作っていった風景。

観音様がこの土地へ運ばれてきたかもしれない風景。

そんなところに、

この講座の面白さがあるのかもしれない。

初めてお会いした金田先生は、

とても柔らかな雰囲気の方だった。

話し方にも優しさがある。

けれど、

話が始まると自然と引き込まれる。

先生は何度も、

「私も、まだ分からないことが多いんです。」

と話していた。

そして、

参加者から質問が出るたびに、

「ああ、それは私も知りたいんです。」

と嬉しそうに話していた。

疑問に思ったことに向き合う。

共感する。

考える。

その時間が楽しい。

そんなふうに聞こえた。

だから先生の話は、

答えを教える講座というより、

一緒に不思議を追いかける時間のようだった。

小布施町役場で行われた高井鴻山と小布施の文化講座の様子
金田功子先生による講座。高井鴻山よりもさらに昔、小布施の歴史について学んだ。

最後の質疑応答も面白かった。

特に印象に残ったのは、

一番後ろの席から出た質問だった。

高井家の刀の話。

名字の話。

かなり踏み込んだ内容だった。

先生は耳に手を当て、

聞き取れなかったら席を立ち、

質問した方のところまで歩いて行った。

私は一番後ろの席にいたので、

その様子をすぐ近くで見ていた。

先生は質問を面倒がるどころか、

むしろ嬉しそうだった。

聞き逃したくない。

ちゃんと聞きたい。

そんな気持ちが伝わってきた。

講座が終わる頃には、

降っていた雨も止んでいた。

帰り道。

私は少し遠回りをした。

いつもの散歩道だ。

子供たちと歩けば、

かなりの確率で通る道でもある。

まず立ち寄ったのは、

雁田のヒイラギだった。

長野県天然記念物に指定されている雁田のヒイラギ全景
帰り道に立ち寄った雁田のヒイラギ。何百年もの時間を見守り続けてきた木。

先生は講座の中で、

あのヒイラギの話もしていた。

ヒイラギは、

もともとこの辺りに自然に生える木ではなく、

中央から来た人が持ち込んだものではないか。

そんな話だった。

もちろん本当のことは分からない。

けれど、

もしそうだとしたら。

あの木は、

何百年も前から、

この土地を見続けてきたことになる。

小布施町の雁田地区に残る長野県天然記念物「雁田のヒイラギ」の幹
講座の帰り道に立ち寄った長野県天然記念物「雁田のヒイラギ」

子供たちと何度も歩いた道。

何度も見上げた木。

かくれんぼをしたこともある。

木の陰に隠れたり、

「見つけた!」

なんて声を上げたり。

その木の下では、

陶磁器の欠片を拾ったこともある。

そんな思い出がある。

その先の帰り道には、

鳥ノ林古墳群もある。

鳥ノ林古墳群の古墳と案内板
講座の帰り道に立ち寄った鳥ノ林古墳群。いつも通る場所なのに、この日は少し違って見えた。

子供たちと歩く時には、

何度も前を通ってきた。

けれど、

その時は何も知らなかった。

ただの木だった。

ただの古墳だった。

ただの散歩道だった。

けれど今は違う。

もしかしたら、

私たち親子よりずっと前に、

誰かがその木の下で遊んでいたのかもしれない。

陶器を使っていた人がいたのかもしれない。

古墳を築いた人がいたのかもしれない。

なんだかそう思うと、

いつもの散歩道が、

少しだけ違って見えた。

先生は、

松川が何度も氾濫しながら、

この土地を作ってきた話もしていた。

山から石が転がり落ちる。

川がそれを運ぶ。

削る。

積み重ねる。

そうやって、

今の小布施の土地ができてきたのだという。

だからだろうか。

うちの庭を掘っても、

出てくるのは丸い石ばかりだ。

桜の木の横に並べてみた。

けれど石が足りない。

石を取れば土が減る。

土を残せば石が足りない。

なかなか思うようにはいかない。

けれど講座を聞いた後だと、

その石の見え方も少し変わる。

ずっと昔に雁田山から転がり落ち、

川に流され、

ここへ辿り着いた石なのかもしれない。

小布施の自宅庭に並ぶ丸石と枝垂れ桜
講座を聞いた後では、庭の石も少し違って見えた。

講座を聞く前なら、

ただの石だった。

講座を聞いた後では、

少しだけ違って見えた。

いつもの散歩道も、

少しだけ違って見えた。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

こうした何気ない一日を、
これからも記録として残していきます。

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歩きながら、
少しずつ繋がっていった記録です。

高井鴻山と小布施の文化②

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小布施を歩いていた日

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