息子の茶碗が割れた日
夕飯の時間だった。
穣が毎日のように使っている茶碗がある。
小学一年生の二月、
学校の授業でお母さんと一緒に作り、
二年生になった五月に完成した。

それから毎日、
この茶碗にご飯を盛ってきた。
我が家では、ご飯をよそう時、
「少しか?」
「それとも、雁盛りか?」
と聞く。
「雁盛り」は、
小布施町内の蕎麦屋「朝日屋」で見る、
てんこ盛りのざる蕎麦を、
雁田山みたいだなと我が家が勝手に呼び始めたもの。
戸隠そばに「ぼっち盛り」があるなら、
小布施には「雁盛り」があってもいいじゃないか。
そんな雁盛りを、
五月から毎日のように受け止めてきた茶碗だった。

───
その日も、いつもの夕飯だった。
テレビを見ながら、少しぼんやりしていた穣。
夏休みボケでもしていたのだろうか。
ふと、手が滑った。
私は、その瞬間をじっと見ていた。
茶碗が手から離れる。
床へ落ちる。
転がっていく。
そして――
カシャン。
「あっ、割れた。」
思わず声が出た。

家族全員が止まった。
一番止まっていたのは、穣だった。
割れた茶碗を見つめたまま動かない。
そして、泣き出した。
いつもの私なら、
「何やってんだ。」
くらい言っていたかもしれない。
でも、この日は出なかった。
「大丈夫だ。」
「直るよ。」
「本物の人にお願いしてみよう。」
「こういう器を直してくれる人を、職人さんっていうんだよ。」
───
以前、
「器のお直しカミカワ」の神川梓さんに、
急須のお直しをお願いしたことがある。
その時、まだ小さかった穣も一緒だった。
私は茶箪笥の奥から、その急須を取り出した。
「これだよ。前に直してもらったやつ。」
穣が見て、
「あっ、これ知ってるよ。」

「穣の茶碗も、神川さんにお願いするんだよ。」
その日の夜。
妹たちに、何やら自慢げに話していた。
「すごいんだよ。本物はくっつくけど、偽物はくっつかない。」
割れた時とは、少し違う顔をしていた。
───
翌日。
割れた茶碗を持って、
穣と二人で神川さんのもとへ向かった。
車の中で、
「穣、一句作ってみて。」
とお願いした。
「五・七・五って何?」
「五文字、七文字、五文字。」
しばらく考えて、穣が言った。
「お茶碗を お願いします 金にして」
そこへ父の七・七。
「金は高いぞ 笑顔が見たい」
親子で一首、出来上がった。
───
神川さんに茶碗を見ていただいた。
「小学生のお子さんが作った器を持って来られる方、結構いらっしゃいますよ。」
「大丈夫ですよ。」
そして、何種類かある中から、
継ぎ目の色を選ぶことになった。
「どれがいい?」
「金。」

迷わなかった。
「金ですと、少し高くなりますけど大丈夫ですか?」
「はい。お願いします。」
出来上がるのは、十月の終わり頃。
「よろしくお願いします。」
親子で頭を下げ、茶碗を預けた。

───
帰りの車。
「茶碗、十月の終わりに直るって。」
そう伝えると、
「じゃあ、その日は学校休んで一緒に取りに行こうよ。」
「絶対内緒だよ。」
ときた。
「バカなこと言ってんじゃないよ。」
でも面白かったので、
「じゃあ、それを五・七・五で。」
少し考えて――
「うれしいな ちゃわんとりに ずるやすみ」
父の七・七。
「学校行けよ 仮病はバレる」
親子で一句ずつ。
いや、
気がつけば短歌になっていた。
───
割れた時、
穣は茶碗を見つめて泣いていた。
帰りの車では、
十月の話をして笑っていた。
一年生の二月に作り、
二年生の五月から毎日ご飯を盛ってきた茶碗。
我が家の「雁盛り」を受け止めてきた茶碗に、
今度は一本、金色の線が入る。
十月の終わり。
どんな姿になって帰ってくるのだろう。
また穣と一緒に迎えに行こうと思う。
もちろん――
学校は休まずに。

───
器のお直しカミカワ
今回お願いしたのは、
「器のお直しカミカワ」の神川梓さん。
自宅の一室で、
本漆を使った器の修理をされています。
以前、
我が家の急須をお願いした時も、
今回もお世話になりました。
器のお直しカミカワ
神川 梓さん
長野県長野市浅川
※相談方法、料金、修理期間などの最新情報は、公式サイトでご確認ください。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
これからも、私が見てきたこと、感じたこと。
そして、生きてきた証を言葉として残していきます。
もし、何か一つでも心に残るものがあれば、
👣足あとを残していただけると励みになります。
このブログは、
迷いながらも歩き続ける、
私の「みちしるべ」です。
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この続きに、こんな記事も。
▶︎ 「小布施を歩いていた日」
▶︎ 人には歴史がある
▶︎ あの日に帰る


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