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信州 赤塩焼き③|戸草トンネルと煉瓦の記録

戸草トンネル入口の煉瓦アーチ構造(長野県飯綱町) 赤塩焼シリーズ

【信州 赤塩焼き|シリーズ】

▶︎ ① あそこだと気づいた日
▶︎ ② 手の中に残っていたもの
▶︎ ③ あのトンネルで見えたもの(この記事)
▶︎ ④ 赤塩焼とは何だったのか
▶︎ ⑤ なぜ消えたのか
▶︎ ⑥ 名前が消えても残るもの

信州・飯綱町赤塩。

あのこね鉢を受け取ったあと、
どうしても確かめたい場所があった。

戸草トンネル。

昔、仕事で何度も通った場所。

あの時は、ただの古いトンネルだった。

けれど今は違う。

ここに、
赤塩焼きの技術が
形を変えて残っているかもしれない。

そう思ったら、
もう一度行かずにはいられなかった。

しなの鉄道・古間駅の近く。

静かな山あいに、
戸草トンネルは口を開けている。

戸草トンネル説明板と赤塩焼煉瓦の記載(長野県飯綱町)
戸草トンネルの説明板。赤塩焼の煉瓦について記されている。

外から見ると、
どこにでもある古いトンネルに見える。

けれど──

よく見ると違う。

アーチ部分には煉瓦。
側壁には切石。

この組み合わせが、
ただのトンネルではないことを物語っている。

中に入ると、
頭の上に煉瓦の曲線が続いている。

戸草トンネル内部に続く煉瓦アーチ構造(長野県飯綱町)
煉瓦のアーチの先に、今の風景が続いている

ひとつひとつ積み上げられた煉瓦。

その一つ一つが、
誰かの手で焼かれたものだと思うと、
見え方が変わる。

戸草トンネル内に落ちていた赤塩焼の煉瓦の破片
足元に落ちていた煉瓦のかけら。役目を終えても、ここに残り続けている

あのこね鉢と同じように。

土を焼く。

それだけの技術が、
器になり、
そして今度は、
人が通るための構造物になった。

暮らしの中の道具から、
社会を支えるものへ。

形は違っても、
やっていることは同じだったのかもしれない。

赤塩焼きは、
消えたと言われている。

けれど──

ここには、確かに残っている。

ただ、形を変えただけで。

しばらくその場に立っていた。

何度も通ったはずの場所なのに、
まるで初めて来たような気がした。

あの時は、何も知らなかった。

でも今は違う。

ここにあるものの意味を、
少しだけ知っている。

そして──

この話は、まだ終わらない。

形を変えても、
残り続けるものがある。

赤塩焼きを追いながら見えてきたのは、
“器”そのものよりも、
土を焼き、
暮らしを支えてきた時間だったのかもしれない。


歩きながら、
少しずつ繋がっていった記録です。

▶ 続きはこちら
信州 赤塩焼き④|赤塩焼とは何だったのか

▶ 御開帳と善光寺焼シリーズ
▶ 赤塩焼シリーズ
▶ 空気シリーズ

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