【信州 赤塩焼き|シリーズ】
▶︎ ① あそこだと気づいた日
▶︎ ② 手の中に残っていたもの
▶︎ ③ あのトンネルで見えたもの(この記事)
▶︎ ④ 赤塩焼とは何だったのか
▶︎ ⑤ なぜ消えたのか
▶︎ ⑥ 名前が消えても残るもの
信州・飯綱町赤塩。
あのこね鉢を受け取ったあと、
どうしても確かめたい場所があった。
戸草トンネル。
昔、仕事で何度も通った場所。
あの時は、ただの古いトンネルだった。
けれど今は違う。
ここに、
赤塩焼きの技術が
形を変えて残っているかもしれない。
そう思ったら、
もう一度行かずにはいられなかった。
しなの鉄道・古間駅の近く。
静かな山あいに、
戸草トンネルは口を開けている。

外から見ると、
どこにでもある古いトンネルに見える。
けれど──
よく見ると違う。
アーチ部分には煉瓦。
側壁には切石。
この組み合わせが、
ただのトンネルではないことを物語っている。
中に入ると、
頭の上に煉瓦の曲線が続いている。

ひとつひとつ積み上げられた煉瓦。
その一つ一つが、
誰かの手で焼かれたものだと思うと、
見え方が変わる。

あのこね鉢と同じように。
土を焼く。
それだけの技術が、
器になり、
そして今度は、
人が通るための構造物になった。
暮らしの中の道具から、
社会を支えるものへ。
形は違っても、
やっていることは同じだったのかもしれない。
赤塩焼きは、
消えたと言われている。
けれど──
ここには、確かに残っている。
ただ、形を変えただけで。
しばらくその場に立っていた。
何度も通ったはずの場所なのに、
まるで初めて来たような気がした。
あの時は、何も知らなかった。
でも今は違う。
ここにあるものの意味を、
少しだけ知っている。
そして──
この話は、まだ終わらない。
⸻
形を変えても、
残り続けるものがある。
赤塩焼きを追いながら見えてきたのは、
“器”そのものよりも、
土を焼き、
暮らしを支えてきた時間だったのかもしれない。
歩きながら、
少しずつ繋がっていった記録です。
▶ 続きはこちら
信州 赤塩焼き④|赤塩焼とは何だったのか


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