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賑わいの中で、繋がっていくもの。

小布施・玄照寺の縁日へ向かう子供たちの後ろ姿 古き良き暮らし

【 小布施でアートを感じる記録 】
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動き続ける絵と、止まらない視線


— 小布施・玄照寺 —

小布施・玄照寺の縁日で過ごした、家族の一日。

家族で出かけた、ただの一日。
でも、ただの一日じゃなかった。

小布施の玄照寺へ向かって歩く三人の子供と縁日の境内の様子
この一日は、ここから始まっていた。

でも、あとから思い返すと、
少しだけ意味が変わるような日だった。

音と匂いの中で—— 玄照寺の縁日。

屋台の並ぶ境内。

たこ焼きの香ばしい匂い。
甘いタレの匂いと、油の匂い。

腹の虫が反応した。

くじ引きの軽い鐘の音。

遠くから、
太鼓の音が重なってくる。

低く重い音が、
腹の奥まで響いてくる。

匂いと音が混ざり合って、
境内の空気をつくっていた。

特別なことは何もない。

でも、子供たちはそれだけで楽しそうで、
それを見ているだけで、十分だった。

玄照寺の境内には特設ステージが組まれ、
和太鼓の演奏が行われていた。

普段から、子供たちは自由にさせて、
少し離れて見守るようにしている。

だから、何を感じているのかは、
動きや表情でなんとなく分かる。

このときも、それぞれ違う反応だった。

次女は、音に合わせて踊りだし、
長男は、どこからか笛を取り出して吹きはじめ、
長女は、その場に立ち尽くして、じっと見入っていた。

同じ音でも、受け取り方はそれぞれ違う。

少しして、移動販売の蕎麦屋に目が止まる。

普段、小遣いは渡していない。
何か手伝ったときに、御駄賃として渡すくらいだ。

その中で、子供たちは自分たちで考えて、
ひとつの蕎麦を買っていた。

三人で、順番に、交互に食べている。

小布施・玄照寺の縁日で蕎麦を分け合って食べる子供たちの様子
ひとつを分け合う時間が、いちばんうまい。

お腹が空いていたのもあるだろうけど、
それ以上に、どこか楽しそうだった。

その姿を見て、
ふと、記憶が蘇る。

あの頃の俺も、
分け合ってたな。

辛かったけど、楽しかった。

今、そう思える。

それが、繋がりなのかもしれない。

妻と、息子と、娘二人。
親父になった今も——

一人一人に託す未来。

子供たちへの想いがある。

—— 過去と出会う(巴錦との出会い)

境内では、巴錦の苗が予約販売されていた。

4年前、ここに来たとき、
その存在は、目にも記憶にも残っていなかった。

見えていなかったのか、
ただ通り過ぎていただけなのか。

今回、はじめてその存在を知り、
保存会の方の話を聞いた。

小布施・玄照寺に伝わる巴錦の歴史と記録(看板・石碑・保存会の様子)
巴錦の名は、花だけじゃなく、人と場所の記憶として残っていた。

葛飾北斎の絵にも描かれているとされ、
150年以上受け継がれてきた菊だという。

さらに、加賀の前田利常が参勤交代で善光寺を訪れた際に、
名もなかったこの菊に「巴錦」と名を与えた——
そんな話も残っているそうだ。

正直、最初は興味本位だった。

でも、その話を聞いたあとでは、
ただの苗には見えなくなっていた。

今回、苗を購入した。

同じ場所でも、
見る側が変われば、残るものも変わる。

—— 記憶が残る場所(小布施の民族資料館)

玄照寺の縁日をあとにして、家路に向かう帰り道。

そのまま帰るには、少しだけ惜しくて。

帰り道で出会い、
一緒に来た小布施生まれ小布施育ちの先輩と、
民族資料館に、ふらっと立ち寄った。

そこは、かつて小学校だった場所だという。

今の小布施には小学校はひとつしかない。
それでも、ここにも確かに、学びの場があった。

何人もの子供たちが、
ここで過ごし、巣立っていったのだろう。

時代の流れの中で、子供たちは減り、
学校はその役目を終えた。

けれど建物は残り、
今は“記憶を残す場所”として、そこに在る。

—— 触れて覚える

中に入ると、
昔の道具や、暮らしの痕跡が並んでいた。

小布施の民族資料館に残る昔の暮らしの道具と子供たちの体験の様子
触れて、動かして、はじめて分かることがある。
そこに残っていたのは、道具ではなく、人の時間だった。

資料館の中に残っていた、暮らしの痕跡。
触れてみて、はじめて分かることがあった。

道具を見ては、

「懐かしいな、これ」

色々あったな、と
ぽつりとこぼす。

頼んでもいないのに、
ひとつひとつ、使い方や昔の話をしてくれる。

先輩の親父さんたちの世代が通っていた都住小学校。

今は、その場所が民族資料館として残っている。

若い頃に世話になった親父さんは、
もう他界していて、何も聞けない。

まんざらでもなさそうなその表情に、
この場所で過ごしてきた時間が、
そのまま滲んでいる気がした。

気づけば、子供たちは石臼の前に集まっていた。

資料館の女性職員の方に使い方を教えてもらいながら、
実際に手を動かして、順番に回してみる。

姿や形、やり方は違っても、
今も昔も、きっと同じなんだと思う。

—— 繋がっていく声

資料館を出て、外に出ると——

庭で、石碑の近くを作業している男性がいた。

校歌が刻まれた石碑の前で、
子供たちは立ち止まる。

小布施の民族資料館の庭で石碑の前に立ち、文字を読む子供たちの様子
校歌が刻まれた石碑の前で、声に出して読む子供たち。
その声は、ちゃんと昔へ届いている気がした。

文字を指で追いながら、
一生懸命、声に出して読んでいた。

決して上手ではないし、
メロディも合っているのか分からない。

それでも、どこか楽しそうに、口ずさんでいた。

その男性が、作業の手を止めて、ぽつりとこう言った。

「昔の人が聞けば、喜ぶぞ」

その一言で、
子供たちの声が、少しだけ大きくなる。

照れもせず、
ただまっすぐに、歌っていた。

—— 引っかかる感覚

展示の中に、ひとつ気になるものがあった。

花瓶——
いや、あれは徳利じゃなかったか?

一人、足を止めて考え込む。

どこかで見たような感覚だけが残る。

はっきりとは思い出せないまま、
その場をあとにした。

帰ってから文献を開いたときだった。

「あった、これだ。」

思わず声が出た。

「何が?」と、子供たちと妻。

「これ、めちゃくちゃ似てないか?」

そう言いながら見せると、
確かにどこか通じるものがある。

当時の流通や土地のつながりを考えると——

あの花瓶は、
松代焼ではなく、
赤塩焼なのかもしれない。

あくまで、自分の中での答えだけど、
そう思うと、すべてが繋がっていく気がした。

—— 器が繋ぐもの

その日だけの違和感では、なかったのかもしれない。

今まで調べてきたこと。
触れてきたもの。
頭の中に積み重なっていたものが、
あの花瓶の前で、ふと繋がった気がした。

そして、帰りに立ち寄った
小布施の骨董屋「了庵」。

器を見て、手に取り、
形や土の表情を眺める時間は、
自分にとって、ただの買い物ではない。

過去と、
今、目の前にあるものが、
どこかで繋がっていく時間だった。

小布施の骨董店「了庵」の店内と外観、古い器や暮らしの道具をまとめたグリッド写真
古いものも、新しいものも、
ここではちゃんと“暮らし”として残っていた。

帰りに、皿をひとつ買った。

子供たちも、
「これがいい」と、
店主のおばちゃんに声をかける。

おばちゃんは、
「商売だから、百円だけいただくね」と、
満面の笑みで応えてくれた。

外には、
陶器がくるまれた俵が置いてあった。

昔、こうして陶器やいろんな物を運んでいたと、
どこかで聞いたことがある。

あの花瓶のことも、
資料館で感じた違和感も、

ここに並ぶ器たちと、
どこかで繋がっている気がした。

—— 未来へ

縁日で笑う子供たちと、
資料館で立ち止まり考える自分。

同じ一日でも、
見ているものは違う。

でも、それでいい。

子供たちは、今を全力で楽しんでいる。
自分は、過去と今を行き来しながら、あれこれ考えている。

なんだか、
役割分担みたいで、ちょうどいい。

明るい未来を思い描きながら、
老若男女が、笑いながら考え、
楽しみながら物事を決めていく——

そんな時間が、ここにはあった気がする。

気づけば、
自分は何も変わっていないようで、
ちゃんと繋がっていた。

腹の虫に動かされて、
子供たちに引っ張られて、
気になったものに立ち止まって。

だいたい、
計画なんて立てたところで、
その通りにいった試しもない。

でも、
寄り道したぶんだけ、
ちゃんと何かに出会っている気もする。

結局、
人はそんな風にしか生きられないし、
そんな風にしか、繋がっていかない。

深く考えすぎても進まないし、
何も考えなければ気づかない。

だったら——

笑って、
楽しんで、
少しだけ考えるくらいが、ちょうどいい。

だから——

今日も、悪くない一日だった。

いや、
むしろ、ちょっとだけいい一日だった。

笑楽考。

——

賑やかな声も、
太鼓の音も、
気づけば少しずつ遠くなっていた。

それでも、
あの日の雨の匂いだけは、
まだどこかに残っている気がする。

歩きながら、
少しずつ繋がっていった記録です。


御開帳と善光寺焼シリーズ
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