【 小布施でアートを感じる記録 】
▶ 賑わいの中で、繋がっていくもの。
▶ 北斎館で感じた、“別の波”
▶ 本記事|祭り屋台と、中島千波館の屋台蔵を歩いた日
▶ あかり博物館で、昔の灯りを見つめた日
▶ 小布施と雨と、中島千波館での一日
▶ 動き続ける絵と、止まらない視線
私こう見えても江戸っ子なもんでね。
祭りと聞けば、血が少しばかり騒ぐんです。
で、ちょいと気になって調べてみたんですよ。
小布施の自治会、いくつあるのかってね。
そしたら、出てきた数字が──28。
おや、そんなにあるのかい。
となると、つい考えちまう。
「全部に屋台があったら、どうなる?」
小布施には祭り屋台が七基あるって話だ。
単純に並べりゃ、二十八基。
今の四倍って勘定だ。
……いやいや、待ちなって。
町の大きさに対して、祭りの勢いが強すぎる。
だがね、
それもまた一興、って気もするんです。
⸻
そんなことを考えながら歩いていると、
ここ小布施じゃ、
“展示されているもの”と“生きているもの”の境目が、
少しばかり曖昧に見えてくる。
最初に目に入ったのは、
北斎館だった。
そこにある屋台は動かない。
だがね、
天井絵や彫刻をじっと見ていると、
今にも動き出しそうな顔をしている。
静かに、じっくり見られる場所だ。
……だが、それだけじゃない。
小布施の祭り屋台。
古くから残る屋台は、全部で七基。
東町、上町、中町、伊勢町、横町、福原、六川。
それぞれの町に、一基ずつ残されている。
そのうちの二基、
東町と上町の屋台は北斎館にある。
残りの五基は、
おぶせミュージアム・中島千波館に収蔵されている。
普段は静かに展示されているが、
町の節目や特別な行事のときだけ、
外に出ることがある。
つまりね、
完全に止まってるわけじゃない。
同じ屋台でも、
見る場所やタイミングで、
見え方が変わる。
これが、なかなか面白いもんで。
そんな中で、ひとつひとつ見ていくと——
横町
制作年:文化〜文政年間(1781年〜1818年頃と推定)
製作者:北信地方の工匠と思われる。

一番古い。
でも、一番静かだった。
派手さはない。
飾り立てるような強さもない。
それでも、目が離れなかった。
余計なものがない。
必要なものだけで、立っている。
そういう佇まいだった。
さて、自分はどうだろう。
足してばかりいないか。
帰ったら、少し整理しようと思った。
六川
製作年:明治三年(1870年〜再建あり)
製作者:島田権右衛門(六川)

一度壊れて、作り直されている。
それだけじゃない。
車輪も替え、手を入れながら使い続けている。
同じ形のまま、じゃない。
少しずつ変わっている。
でも、残っている。
変わったから残ったのかもしれない。
完璧なまま守るんじゃなくて、
必要なところは変えていく。
それが、“生きている”ということかもしれない。
自分も、少しずつ変えていこうと思った。
伊勢町
製作年:文政6年(1823年)
製作者:斎藤吉三郎(横町)

ここは、少し違った。
ちゃんと記録が残っている。
誰が、どれだけ関わったのか。
約五十人。
一人じゃない。町で作っている。
そして、子供芝居。
屋台は、ただ見るものじゃない。
人が集まり、関わり、時間を共有する場所だった。
そう思った。
さて、自分はどうだろう。
人との関わりを、
どこかで避けていないか。
少しだけ、
人に会いに行こうと思った。
中町
製作年:弘化年間(1844年〜1848年)と伝えられている。
製作者:不詳

ギヤマン屋台。
ガラスを使っている。
それだけじゃない。
光を受けて、反射して、
その場の空気ごと変えてしまう。
ここまでやるか、と思った。
さすが豪商の町だ。
見せることを、ちゃんと分かっている。
目を引くもの。
人を惹きつけるもの。
今の時代と、どこか似ている。
……そう考えたとき、
ふと、自分のことに戻ってきた。
じゃあ、自分は何を見せたいのか。
ただ目立つだけなのか。
それとも、残るものなのか。
少し考えさせられた。
福原
製作年:弘化〜嘉永年間(1844年〜1856年)頃と伝えられる。
製作者:不詳

白木と漆、そして極彩色。
ここまでやるか、って思ったね。
祭りで引き回す屋台だろう?
雨に当たるかもしれない、土に触れるかもしれない。
それでも天井にまで手を入れる。
見えにくいところにまで、意味を彫る。
ただ派手なだけじゃない。
削った跡にも、塗り重ねた色にも、理由がある。
飾りじゃない。
この屋台そのものが、願いのかたちなんだと思った。
……いや、違うな。
昔の祭り屋台ってのはね、
ただ豪華さを競うためのもんじゃない。
町の誇りも、
信仰も、
願掛けも、
五穀豊穣や無事を願う気持ちも、
全部まとめて背負っている。
だからこそ、
あそこまで手をかけるんだろう。
——そして、この福原の屋台が収められている蔵の壁側に、
ひとつ、気になるものがあった。

小布施ゆかりの祈願絵馬。
町の人たちが願いを書いて奉納する、
あの絵馬だ。
紙や木で作られた、小さなものだが、
そこには、はっきりと“人の願い”が残っていた。
そう考えると、
さっきまで見ていた屋台も同じだ。
ただ豪華なだけじゃない。
人の願いや祈りが、
ちゃんと乗っている。
さらに別の屋台蔵では、
他の四基の屋台と一緒に、
押絵雛も展示されていた。

江戸から明治にかけて作られた、
紙や布の人形。
どれも派手ではないが、
妙に引っかかる。
ああ、同じだな、と思った。
屋台も、
絵馬も、
紙雛も、
全部、
人が作って、
人が使って、
人が残してきたものだ。
特別なものじゃない。
むしろ、
当たり前の暮らしの中にあったものだ。
だからこそ、
残っている。
そう考えると、
さっきまで見ていた屋台も、
少し違って見えてきた。
“文化財”というより、
“使われてきたもの”として。
普段は、静かに収められている。

止まっているからこそ、
細部まで見ることができる。
でも、
完全に止まっているわけじゃない。
特別なときだけ、
外に出て、人が引き、音が鳴る。
町が動く。
つまりね、
止まってるように見えて、
ちゃんと生きてる。
同じ屋台でも、
見る場所やタイミングで、
まるで別物のように見えてくる。
この違いが、なんとも面白い。
屋台は、ただの文化財じゃない。
豪華なものもあれば、
静かなものもある。
変わったものもあれば、
変わらず残ったものもある。
だがね、共通しているのは一つ。
“使われてきた”ということだ。
だから残った。
そして今も、
どこかで、
ちゃんと生きてやがる。
――だから、祭りと聞けば、
血が騒ぐんです。
祭り屋台を見ていたはずなのに、
気づけば、
残っていくもののことを考えていた。
形を変えながら続いていくもの。
人がいなくなっても、
土地に残るもの。
小布施の祭り屋台は、
ただ飾られている文化財じゃなかった。
今も、
人の時間と繋がっていた。
⸻
歩きながら、
少しずつ繋がっていった記録です。


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