【 小布施でアートを感じる記録 】
▶ 賑わいの中で、繋がっていくもの。
▶ 北斎館で感じた、“別の波”
▶ 祭り屋台と、中島千波館の屋台蔵を歩いた日
▶ あかり博物館で、昔の灯りを見つめた日
▶ 小布施と雨と、中島千波館での一日
▶ 本記事|動き続ける絵と、止まらない視線
小布施・中島千波館で見た収蔵品展Ⅰ期
「Ⅰ期 ― 俯瞰する風景 ―」
(令和8年4月2日〜5月26日)
絵心もない俺が、息子と暇を弄ぶ休日。
リハビリがてらの散歩で、美術館に迷い込んだ。
感じ方は人それぞれ。
だから、ここにあるのは答えじゃない。
――ただの、俺の“見え方”だ。
今回の展示は、二期に分かれている。
「Ⅰ期 ― 俯瞰する風景 ―」
(令和8年4月2日〜5月26日)
そして――
「Ⅱ期 ― 交差するまなざし ―」
(5月30日〜8月3日)
春山文典 小布施町出身の金属造形作家
春山文典
小布施町出身の金属造形作家。
最初に目に入ったのは、
ロビーに展示されている作品だった。
風や水の流れのような形。
よく見ると、
大きな知恵の輪にも見える。
絡まりながら、
ほどけそうで、ほどけない。
金属なのに、
重さを感じない。
むしろ、
空気の方が近い。
自然の“流れそのもの”を、
掴もうとしているようだった。
⸻
これ、トラック直すやつじゃん
⸻
……急に、
現代アートが工場勤務になった。
ー第1展示室ー
入口の奥、正面。
キラキラした渦巻に見えた。
近くで見ると、人の日常の渦だった。
《螺旋群像図》古家野雄紀
無数の人が集まり、
流れになり、
やがて渦になる。
見ているというより、
その流れの中に、引き込まれていく。
歳をとったせいか、
少し離れて見た方が綺麗に見える。
近づくと、
ちゃんと“中身”がある。
捉え方も見る目も、
歳をとったみたいだ。
⸻
トンネルみたいだね〜
⸻
……たしかに。
自分には“渦”に見えていたけど、
子どもには、
まだ“その先へ行ける道”に見えているらしい
⸻
《螺旋群像図》古家野雄紀
同じ名の作品。
年号だけが違う。
どちらの画にも、
ブラックホールみたいな渦があった。
人の繋がりは、
まるで宇宙の中の地球みたいで、
小さな点の集まりなのに、
そこに時間も、記憶も、全部詰まっている。
誰かが残してきた記憶を、
遡っていくようで、
そのまま未来へ解き放たれていくようにも感じた。
大きな木の絵がある。
大きくて、細かい。
よく見ると、人がいる。
見るから、探すに変わる。
それだけで、少し面白くなる。
しかも、こう書いてある。
「絵の中には、中嶋千波先生が描かれています。ぜひ見つけてみてください。」
《甲斐山高神代ノ樹》 小柳景義
見覚えのある漢字。
読み間違えたのかと思いきや、聞き覚えのある響き——
やまたかじんだい——
あ、桜の樹だ。
日本三大桜のひとつ。
山梨県北杜市武川町、実相寺にある、
山高神代桜。
樹齢は、一八〇〇年とも二〇〇〇年とも言われている。
国の天然記念物第1号に指定された桜。
桜が咲いているところは見たことはない。
この樹は、幾多の営みを見てきたのだろうか——
人によって支えられ、持ちつ持たれつ。
信頼や義理人情の中で、
ただ黙って、生きてきた。
その在り方が、
生命力さえ感じさせる。
ただの木じゃない。
時間の塊みたいなものだった。
⸻
先生。み〜つッけたーーー!
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《近江の枯樹》 小柳景義
神なのか、舎利なのか。
老木が、そのまま形を変えたようにも見える。
それでも――
まだ、生きている。
節々の根と幹は、
どこか北斎の描く力こぶのようにも見えてくる。
右に、人々を見下ろす顔。
左に、杖を握るような手と、睨む顔。
そして――
真ん中には、誰かが座っている。
鎮座しているようにも見えた。
そして――
左下の根元では、人が集まっている。
争いなのか。
役目なのか。
それとも、まったく別の理由か。
わからない。
ただ――
人と人の間に入り込む“何か”は、
いつも人の形をしている。
そんな気がした。
《苔生す森》高橋浩規
雪解けが進む、北アルプスの山中。
先輩に連れて行ってもらった、あの場所を思い出した。
静寂が極まりなく、
そこに“居る”だけで、
瑞々しい緊張感と、神聖な空気に包まれる。
降って、積もって、
解けて、流れて、
やがて大地に還る。
たくさん耐えてきたものは、
決して無駄ではない。
凛とした空気の中に、
館内の静けさが、重なっていた。
《後立山の峰々》高橋浩規
春になり、陽気に誘われて外に出ると、
遠い山の、そのさらに上に、
はっきりと、くっきりと見える北アルプスの山々。
空気が澄んだ快晴の日、
いつもより少しだけ、気持ちが軽くなる。
理由は分からないけど、
どこか安心するような感覚。
そんなことを考えながら見ていると、
横から息子がひと言。
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うちから見えるじゃん、コレ。
⸻
……たしかに。
難しく考えていたけど、
子どもにとっては、
“いつもの景色”だったらしい。
なんだか、
少しだけ肩の力が抜けた。
《薄紅薫》野地美樹子
静かに季節が置かれている。
淡い霧の中で、
ぼんやりと浮かび上がる色。
果実の木のような、
どこか静かで、確かな存在。
寒い時期に取り残された中で、
凛々しく活きているような。
その奥に、
希薄になっていく生の寂しささえ、感じてしまう。
それは、俺だけだろうか。
⸻
コレ、絶対うまいやつ〜
⸻
……たぶん、
見えてる世界が、まだ違う。
《砂と河》佐々木真士
陽射しが強い。
河の照り返しも、きつい。
⸻
ここでキャンプしたいね?
⸻
あまりの熱さに、
周りの植物は枯れて、砂になったのかもしれない。
水はある。
でも――
もし、この河も枯れたら。
そんなことを、考えてしまう。
真ん中のテントに、ひとり座っている人。
何を考えているんだろう。
考えているのは、
俺の方かもしれない。
⸻
《一木の影》佐々木真士
よその国の風景画なのか。
古代の風景を思い描いたのか。
旅の道中に見た光景なのか。
俺にはわからない。
記憶の噛み合わせが悪く、
どこか違和感を感じる。
それでも――
巨大な木の前に、人は小さい。
その小ささが、妙に現実的だった。
《桃太郎》高橋祐次
どこか懐かしい、レトロな見た目。
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桃太郎じゃ無いよ。孫悟空の山だよ。
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この絵を見て、タイトルの通り、
頭の中で物語を思い描く。
平穏な場所から、
鬼ヶ島までの船の旅。
大海原を突き進む、物語の途中。
静かな出発の中に、
すでに戦いの気配がある。
解決すべき、困難な何かに
向かっているように見えてくる。
平穏と不穏。
嵐の前の静けささえ感じる。
気づけば、
先生を探す“画”から、
息子の感性の方が、先に動いていた。
そこからまたひとつ、
見方というか、捉え方を、
自然と身につけているのかもしれない。
正しいかどうかなんて、わからない。
でも――
楽しんでいたのは、確かだった。
俺はただ、
その横で、
少し考えすぎていただけかもしれない。
だからこれは、
何かを伝えるためのものじゃない。
――ただ、俺にはこう見えた。
それだけの話だ。
絵を見ていたはずなのに、
気づけば、
自分の記憶まで引っ張り出されていた。
渦の中。
風景の中。
静かな展示室の中。
視線だけが、
ずっと動き続けていた。
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歩きながら、
少しずつ繋がっていった記録です。


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