「みんな言ってるよ。」
時々聞く言葉だ。
けれど不思議なことに、
その”みんな”に会ったことがない。
「誰が言ってるの?」
そう聞くと、
急に話は曖昧になる。
「あれ、誰だったっけ。」
「前に聞いたんだけど。」
「ほら、あの人。」
さっきまで確かな話だったはずなのに、
出どころを聞いた途端、
誰もいなくなる。
まるで、
膨らませるだけ膨らませた風船を、
手放したようだった。
⸻
そして、
その風船だけが飛んでいく。
人から人へ。
口から口へ。
そのたびに、
誰かが息を吹き込む。
思い込み。
憶測。
好き嫌い。
勘違い。
都合のいい解釈。
最初は、
ほんの小さな話だった。
けれど、
誰かの息が入る。
また誰かの息が入る。
気付けば、
元の形は見えなくなっている。
残っているのは、
誰かの息で膨らみ続けた風船だけだ。
中身を確かめようと思えば、
いろんな人の息が入り混じっている。
思い込みも。
憶測も。
好き嫌いも。
唾も飛んでいる。
生臭ささえ漂っている。
そんな風船は触りたいとは思わない。
⸻
トラックや車のタイヤも、
空気は多ければいい訳じゃない。
重い荷物を積むほど、
空気圧には気を使う。
多ければ安心ではない。
入れすぎれば危険になる。
人の噂も、
それと少し似ている。
軽い話ならまだいい。
けれど、
人の人生や仕事や家族が乗った話は違う。
重ければ重いほど、
空気の入れすぎによる危険は大きくなる。
だから、
その風船は必ず破裂する。
最初は、
ほんの小さな話だったはずなのに。
俺は、
その怖さを知っている。
⸻
だから最近は、
「みんな言ってる」
という言葉を聞くと、
少し立ち止まる。
その風船は、
誰が膨らませたのか。
その中に入っているのは、
本当に事実なのか。
それとも、
誰かの思い込みなのか。
⸻
正直に言えば、
俺も昔、
そんな風船を膨らませたことがある。
自分の言葉だけでは不安で、
誰かの言葉を借りたこと。
「みんな」を使ったこと。
一度もないとは言えない。
だからこそ、
道しるべとして書き残しておきたい。
⸻
だから俺は、
本人に直接聞くようにしている。
本人の顔を見る。
話を聞く。
言葉を交わす。
風船の外から見ているだけでは、
分からないことがある。
けれど、
本人と向き合えば見えてくるものがある。
表情。
声の調子。
言葉の選び方。
そして何より、
受け答えだ。
全部が分かる訳ではない。
けれど、
風船の中身よりは、
ずっと本当のことに近い。
⸻
誰かの息が何人分も入った風船より、
誰の息もかかっていない話の方を、
大切にしたい。
これは、
誰かを責める話ではない。
昔の俺も含めた、
人の弱さの話だ。
そして、
同じ風船を、
これ以上膨らませないための話でもある。
なお、本記事は特定の個人や団体を指すものではありません。
また、家族や関係者を含め、誰かを攻撃したり誹謗中傷する目的で書いたものでもありません。
人それぞれに事情や立場があり、見えない部分もあります。
誰かを傷つけるためではなく、自分自身の経験や感じたことを記録として残しています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
こうした何気ない一日を、
これからも記録として残していきます。
もし気に入っていただけたら、
👣足あとを残していただけると励みになります。
歩きながら、
少しずつ繋がっていった記録です。


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