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田舎で暮らすということは、“空気”と戦うことだった

小布施のりんご畑の向こうに北信五岳が見え、夕日が沈んでいく風景 空気シリーズ

見渡す限り、山々。

言いたいことは、山々ある。

でも、ここでは
それをそのまま口にするわけにはいかない。

こだまして、
跳ね返ってくるからだ。

ヤッホー、なんて軽く叫んでも、
笑って返ってくるとは限らない。

今の時代、焚き火はどこでやっても怒られる。

消防署に届け出をしても、
薪が煙いと言われる。

炭火にしても、
結局、煙たいと苦情が来る。

正しいかどうかじゃない。

“どう思われるか”がすべて。

それが、この場所のルールだ。

近所付き合いも同じだ。

軽はずみな返事や、
適当な相槌は、打たない方がいい。

その場では丸く収まっても、
後で効いてくる。

最悪、村八分。

大げさじゃなく、
本当にある話だ。

地域の役割。

仕事があるから行けない。

それをそのまま言えば、
はっきり返ってくる。

遠慮も、配慮もない。

年寄りだからじゃない。

ここは、
“やるか、やらないか”だけの世界。

日本人の曖昧さとは、
真逆のようで、どこか似ている。

街で暮らしてきた人間は、
いろんな人と擦れ違って生きてきた。

だから、距離の取り方を知っている。

挨拶の温度感。
会話の引き際。
踏み込みすぎないライン。

それが自然と身についている。

でも、ここでは違う。

他所者は、他所者。

誰かが誰かに話し、
また別の誰かに伝わる。

人は繋がっているけど、
閉じている。

そして、もうひとつ。

お金の話。

土地を買うときには見えなかったものが、
住み始めてから見えてくる。

区費、町内会費。

名前は違っても、
地域を回すためのお金だ。

本来は、
防犯灯やゴミ集積所の管理、
防災や子どもの見守りなど、
必要な役割を担っている。

問題は、その金額と範囲。

地域によっては、
数千円で済むところもある。

でも、多くは数万円。

さらに――

寺や神社の負担金。
消防協力費。
公民館費。
水路の維持費。
交通安全協力金。

名前を変えながら、
いくつも重なってくる。

「聞いてない」

そう思っても、
後から断るのは難しい。

田舎暮らしは、
のんびりしているように見える。

でも実際は、

“空気を読む力”が求められる場所だ。

言葉より、関係。
正しさより、調和。

それを理解しないと、
静かに居場所がなくなる。

この場所で生きていると、
“空気”が関係を決める場面は少なくない。

その中でも、
特に分かりやすく表れるのが、選挙のときだ。

田舎では、選挙も“空気”で決まる

それでも、ここで生きる。

選んだのは自分だから。

ただ一つ言えるのは――

これは「良い・悪い」の話じゃない。

ただ、
“違う”というだけだ。

だから俺は、
空気に飲まれず、でも逆らいすぎず、
この場所で生きていく。

空気は、目には見えない。

でも、
人の関係も、
暮らしやすさも、
時には居場所さえも決めてしまう。

田舎で暮らすということは、
自然と向き合うだけじゃなかった。

“空気”と、
どう距離を取るかだった。


歩きながら、
少しずつ繋がっていった記録です。

田舎では、選挙も“空気”で決まる
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