1930年 昭和5年の今日!
初めてのサッカーワールドカップが、
南米・ウルグアイで開催されました。
地区予選は無く、
出場国は全て・招待による参加でしたが、
主な渡航手段が船だった事もあり、
出場国は僅か13カ国。
南米から7カ国・欧州から4カ国・北中米から2カ国。
ウルグアイ・ブラジル・アルゼンチン・チリ・パラグアイ・ペルー・ボリビア。
フランス・ユーゴスラビア・ベルギー・ルーマニア・メキシコ・アメリカ。
開催方式は、
4つのグループリーグに分けられて
各組1位のみが決勝トーナメントへ進出。
優勝したのは、
アルゼンチンに 2 ー 4 で勝利した
開催国・ウルグアイでした。
当時のFIFA会長は、
フランス人のジュール・リメ氏。
最初のトロフィーは、
純銀製でフランス人彫刻家アベル・ラフール氏が制作。
FIFA会長の名を冠して
ジュール・リメ・カップと呼ばれた。
1958年スウェーデン大会・1962年チリ大会・1970年メキシコ大会。
ブラジルが3度目の優勝。
この業績を称えて、
トロフィー、ジュール・リメ・カップは、
ブラジルが永久保持する事になった。
しかし、
1983年に盗難に遭い、
犯人は捕まったが、
肝心のトロフィーは現在も見つかっていない。
2代目のワールドカップ・トロフィーは1973年に、
イタリア人の彫刻家・シルビオ・ガザニガ氏が手掛ける。
2人が背中合わせで、
地球を支えているデザインで、
18金で出来ているという。
デザインの改良を経て、
2006年ドイツ大会から使用されている
現在のトロフィーは3代目。
しかも驚く事に、
記念すべき第1回ウルグアイ大会には、
我が国・日本も招待されていたそうですが、
自力で掴んだのは、
98年フランス大会。
加茂周監督が更迭されて、
岡田武史が監督に・・・。
私は子どもの頃からサッカーが好きだった。
特に三浦知良選手は憧れの存在だった。
15歳で単身ブラジルへ渡り、
自らの力で道を切り開いていく姿は、
本当に格好良かった。
私はそんなカズに憧れていた。
当時の私にとって、
カズは日本サッカーそのものだった。
そんなカズが外れたのが、
1998年6月2日に発表された
フランス大会の代表メンバーだった。
本大会直前のスイス・ニヨン合宿にて、
日本代表のメンバーが発表され、
岡田監督は記者会見でこう語った。
「外れるのは、市川。カズ、三浦カズ。それから北沢。3選手です・・・」
この言葉が記憶に刻まれている方も、
いらっしゃると思います。
だからこそ、
私にとってこのニュースは衝撃だった。
悔しさを飛び越えて、
怒りを覚えた記憶がある。
なぜカズが外れるのか。
当時の私には理解できなかった。
しばらくは、
その現実を受け入れられなかった。
ドーハの悲劇で、
94年アメリカ大会への道は閉ざされた。
それでも日本代表は諦めなかった。
その後、
アジア最終予選で
イラン代表とのプレーオフに勝利し、
アジア第3代表として、
98年フランス大会に初出場した。
それから7大会連続して、
2022カタール大会・予選を通過して、
本大会に駒を進めている。
4年に1度のFIFAワールドカップ。
これまでは6月〜7月に開催されて来たが、
この時期のカタールは
気温40度を超える事もあり危険と判断。
過ごし易い時期の
11月〜12月の開催に変更されました。
カタールの首都はドーハ。
あと一歩のところで、
本大会への出場を逃した場所で・・・
あれから28年。
FIFAワールドカップ・2022カタール大会。
日本代表は、
スペイン・コスタリカ・ドイツと
グループリーグEに入りました。
森保監督が掲げる、
史上初のベスト8入りを目指し、
対戦日。
11月23日 VS ドイツ。
11月27日 VS コスタリカ。
12月2日 VS スペイン。
下馬評を覆しての驚異的な活躍を期待して、
テレビの前で家族と応援しようと思っている!
2011年7月11日。
第6回女子ワールドカップ・ドイツ大会で、
なでしこジャパンが優勝した時も感動した!!
来週19日から始まる東アジア選手権!
男女共に、みんなで応援しよう!
がんばれ日本!!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
こうした何気ない一日を、
これからも記録として残していきます。
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