【実録|善光寺焼】
この実録は、
善光寺焼との出会いの中で起きた出来事を、
時系列でそのまま記録したものです。
意味や流れを整理して読みたい方は
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2022年、善光寺御開帳の年。
その日、思いがけない出会いがあった。

一粒万倍日。
一粒の籾を蒔けば、万倍の実りとなって返ってくる——
そんな意味を持つ吉日。
何かを始めるのに良い日とされ、
月に数回訪れる、どこか身近な開運日でもある。
そして、天赦日。
年に数回しかない、日本の暦の中でも最上級の吉日。
すべての神様が天に昇り、万物の罪を赦す日。
この日に始めたことは、すべてうまくいくとも言われている。
さらに、虎の日。
「千里行って千里戻る」ことができる虎にあやかり、
旅立ちに良い日とされる日。
無事に帰ってこられる——そんな意味を持つこの日は、
金運にも縁が深いとされている。
この3つが重なる日は、そう多くはない。
いわゆる「最強の開運日」。
——そして、2022年3月26日。
この日が、まさにその特別な一日だった。

正直に言えば、この日を狙っていたわけではない。
ただ、流れの中で自然と、この日が選ばれていた。
不思議と、そういうことがある。
■ 師匠とのご縁
俺には、ひとりの“師匠”がいる。
師匠といっても、堅苦しいものではなく、
どちらかといえば、良き理解者であり、
大切な友人のような存在だ。
その師匠の家で、ある一冊の本に出会った。
『しなのの陶磁器』
(昭和57年6月20日発行/信濃毎日新聞社)
何気なく手に取ったその本は、思っていた以上に深く、
気づけばページをめくる手が止まらなくなっていた。
何度も読み返して、一度は師匠に返した。
けれど、どうしても頭から離れなかった。
あの本が、手元に欲しい——
そう思って相談してみたところ、
師匠が古書店に掛け合ってくれた。
すると後日、連絡が来た。
「一冊、残ってたぞ」
それは、売れ残っていたのか、
まるで眠っていたような“新品のデッドストック”。
こうして、自分の手元にやってきた一冊の『しなのの陶磁器』。
今でも何度も読み返している、
自分にとっての“教科書”のような存在だ。

その中で、ひとつ気になる存在があった。
——善光寺焼。
名前だけは知っていたが、
こんなにも歴史や背景があるものだとは知らなかった。
知れば知るほど、実際に見てみたい。
そんな気持ちが、自然と湧いてきた。
前日の夜。
仕事の合間、人もまばらな静かな時間に、
師匠へ電話をかけた。
「明日、善光寺焼の話を聞きに行きませんか」
そう伝えると、返ってきたのは——
「行きましょう、行きましょう!
俺なんか毎日が日曜日ですから」
相変わらずの軽やかさ。
でも、その一言が心強かった。
夜勤明け。
一度仮眠をとり、目を覚ます。
簡単に食事を済ませ、支度を整え、外へ出る。
少し曇った空。
やがて、細かい雨が落ち始める。
それでも、不思議と気分は悪くなかった。
むしろ、どこか落ち着いた空気の中で、
今日という日がゆっくり始まっていくような感覚があった。
師匠と合流し、軽く茶をいただく。
いつもの何気ない時間。
そのあと、車に乗り込み、目的地へ向かった。
善光寺の門前。
長くこの地で商いを続けてきた一軒の陶器店がある。
創業、明治27年。
128年もの間、変わらずこの場所で続いてきた店。
「横文」

そして、実際に足を運ぶことになる。
狸の看板が目印のその店は、
善光寺の御膝元で、人との縁を大切にしながら、
今もなお在り続けている。
本の中で見た場所。
頭の中で想像していた場所。
そして今、目の前にある現実。
——ここが、今日の目的地。
少しだけ高鳴る鼓動を感じながら、
一度深呼吸をする。
頭の片隅には、あの本の内容が残っている。
けれど、それ以上に——
「実際に見る」という感覚への期待が大きかった。
静かに扉へ手をかける。
そして——
一歩、足を踏み入れた。
この出来事の意味を整理した本編はこちら
▶ 第一話|出会いは、突然だった①
流れの続きを読みたい方はこちら
▶ 第二話|本物と出会う時間②


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